明治35年(1903年)創業。
東京にある「凮月堂」で修業していた創業者竹内小一郎がのれん分けで出店したことが店名の由来。当時は「凮月堂」の名で出店していましたが、3代目が東京での修業を終えた際により地元になじみ深く愛されるようにと「凮」の字を読みやすい「風」に変更し、現在の「風月堂」で掲げました。
今は若き5代目が実直にお菓子作りの心と技術を継承し、新しく美味しさにこだわった創作菓子にも挑戦し続けています。
受賞
神宗の歩みは、天明元年(一七八一)、初代・神嵜屋宗兵衛が大坂・靭に海産物問屋(三町問屋)を構えたことから始まりました。
いま皆様にご愛顧いただいております品々の原型が創り出されたのは、その後、嘉永年間 に京町堀(元ざこば)へ移った頃。以来、海産物問屋として鍛え上げた材料を選ぶ眼と極め尽くした技、品質への妥協を許さない高い心意気を連綿と伝え継いでまいりました。
北海道道南産の天然真昆布だけを使い、独自の加工法を用いた塩昆布をはじめ、鰹昆布、ちりめん山椒、鰹田麩などいずれも、品質と味覚の向上に日々精進を重ね、いつも一番おいしい味をお客様にお届けしております。
天明元年(1781年) | 大阪靫に海産物問屋(三町問屋)として創業。 |
嘉永年間 | 雑喉場に移転。 |
明治時代 | 国内勧業博覧会に出店。上野・天王寺において一、二等賞受賞。 |
昭和25年(1950年) | 合名会社となる。 |
昭和28年(1953年) | 京町堀(旧雑喉場)、靫にあった本店を北久宝寺に移転。 |
平成6年(1994年) | 本店を久太郎町に移転。 |
平成16年(2004年) | 淀屋橋店オープン。 |
平成26年(2014年) |
株式会社となる。 |
かん袋は、鎌倉時代末期、元徳元年(1329年)に和泉屋徳兵衛が和泉屋という商号で御餅司の店を開いたのが始まりです。
安土桃山時代に、豊臣秀吉が大阪城を築城し、その際に堺の商人へ多額の寄付を要求しました。文禄二年(1593年)の春中頃、桃山御殿が完成したのを機会 に、秀吉は寄付金の礼として堺の商人納屋衆を招きました。その時、天守閣は瓦を葺く工事中でした。暑い日盛りの下で、蟻がえさを運ぶように職人が一枚一枚 瓦を運び上げていました。この様子を見た和泉屋徳左衛門は、容易に片付かないと思い、毎日奉仕に出ました。餅作りで鍛えた腕力を使い、瓦を取っては次から 次へと屋根の上に放り上げました。瓦は春風に煽られて、紙袋がひらひらと舞い散るように屋根に上がりました。そこに居合わせた人々は、度肝を抜かれました。これを見た秀吉が、「かん袋が散る様に似ている」と、その腕の強さを称えました。秀吉は、「以後かん袋と名づけよ」と命じ、それより「かん袋」が、和 泉屋の商号になりました。
くるみ餅の出来た頃
室町時代の中頃(1420年頃)には、堺の町は明との勘合貿易の貿易港として栄えていました。明国より入荷した農作物を利用して、五代目の和泉屋忠兵衛は 塩味で挽き合わし、茶菓子を作り出しました。お餅をくるんで食べるところから「くるみ餅」と名づけました。その後、ルソンから砂糖が輸入され、甘味が加えられ現在のくるみ餅となりました。
氷くるみ餅
明治時代になり、冷凍技術が輸入され、氷が簡単に作られるようになると、カキ氷をかけて食べられるようになりました。それが、「氷くるみ餅」です。当時から、夏になりますと、涼感を求めて大勢のお客様が、お店に行列を作るようになりました。
有平糖 菊の露本舗 喜多林堂は明治の頃より格調高い飴を作りつづけ、飴菓子最高の風味と気品を込めまして、香しい甘さの珠玉を皆々様に広くご賞味いただいています。
有平糖(アルヘイ糖)とは砂糖ばかりで飴の状態になったもののことをいい、昔ポルトガルから長崎へ舶来したものに由来します。(ポルトガル語で砂糖のことをアルヘロアとかアルヘイルなどといい、アルヘイ糖はこれが訛化したものと思われます。)大阪の飴「有平糖 菊の露」は明治28年(1895年)喜多林堂初代鶴澤伝六が京都にて有平糖細工の修行中、有平糖の泣き所である砂糖に戻る性質を克服し創製したもので、極上の白双糖を長時間とろ火でアク抜きした後、煮詰めてこしらえました逸品です。
明治28年 | 初 代 鶴 澤 伝 六 | 有平糖 菊の露を創製・創業 |
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明治41年 | 「菊の露」商標登録(登録番号33964) | |
大正13年 | 二代目 鶴澤 梅太郎 | 三越・大丸呉服店等が百貨店形態になり取引開始 |
昭和 7 年 | 昭和天皇天覧御買上 | |
昭和12年 | 貞明皇后台覧御買上 | |
昭和22年 | 三代目 鶴 澤 寅 彦 | 戦後、大阪市南区笠屋町(島之内)で復興 |
昭和31年 | 昭和天皇・貞明皇后 天覧台覧 | |
昭和40年 | 四代目 鶴 澤 義 尚 | 第24回全国菓子大博覧会 中小企業庁長官賞受賞「菊の露」 |
平成14年 | ||
平成19年 | 五代目 鶴 澤 尚 哉 | 代表取締役に就任 |
平成20年 | 第25回全国菓子大博覧会 日本百貨店協会会長賞受賞「割板ピーナツ」 | |
平成22年 | 「菊の露」が大阪産(もん)名品に認定 |
弊社は昭和23年、淀川区の十三で営業を開始しました。屋号の「喜八洲」は「菓子業により八洲(日本中)の皆様に喜んでいただこう」という思いで名付けられました。「最高の材料を使い、手頃な値段で手作りの味を甘党のお客様に!」をモットーに、創業より「酒まんじゅう」「みたらし団子」を中心に発展を遂げ、今年で創業62年になります。
「みたらし団子」は創業当時、「餡の苦手な人にも和菓子を」という思いから開発されました。餅粉と米粉を絶妙なバランスで配合し蒸し上げた団子を、ご注文を頂いてから強い直火で炙ります。表面に香ばしく焦げ目が付いたら、自社特性のタレの中をくぐらせます。このタレに特徴があり、まず北海道厚岸産の上質昆布でダシを取るところから始めます。その後、香川県産たまり醤油と白ざら糖を炊き合わせ、弊社独自の関西風昆布ダシの効いたタレの完成です。もう一つ団子の形が円筒状と変わっているのは、炙った時に焦げ目がつきやすく、またタレの絡みをよくするためです。
「酒まんじゅう」は昭和28年に創業者である中田治吉が淡路島の小原屋酒饅頭本家四代目北条喜四郎氏より正式に五代目酒饅頭家元を譲り受けました。当時は直径5.5cm、約40gの小判型をしており、1個五円。戦後で甘い物が少なかった時期ということもあり、大変好評を頂いたのが最初でした。以来現在に至るまで、機械化を進めつつも伝統の味とその精神を引き継ぎ、変わらぬ「酒まんじゅう」をご提供しております。
あ
か
さ
た
な
は
ま
や
ら
わ