竹利商店は江戸時代末期の創業。
様々な地域の展示会にも出品され、大阪の銘菓として全国に知られていました。
作家の林芙美子、菊地寛もこの味を愛し、愛好していた時雨餅。
時雨餅は、砂糖、つなぎの餅米を混ぜ、そぼろ状にして蒸篭で蒸し上げます。
赤色は小豆餡、白色は白餡でつくられます。
「時雨」の銘の由来は、「餅であるのにべたつかず、はらはらとこぼれるさまが秋の時雨のようだ」と藩主岡部長慎公が授けたと伝えれています。
今でも伝統の味を守り続けるため、独自の製法で時雨餅作りを行っています。
無聲人呼(こゑなく人をよぶ)
竹利商店の包み紙には、この言葉が書かれいます。
「声を挙げなくても人は集まる」というこの言葉は、昔ながらの製法を守り続けながら「時雨」一筋で成してきた自負の思いからでしょう。
陳列には古くに書かれた「時雨餅」の由来が書かれています。
時雨餅の由来
約280年の歴史を持つ時雨(餅)は岸和田城主のお茶菓子として作られ城主が時雨と銘名。
当店が時雨の銘を賜り今日に至ると伝えらている。
尚、戦争の時、政府よりつなぎに餅米を使っているため主食の代用になるため餅をつけれと言われたので名誉と思い餅をつけたと家人が言っている。
岸和田本通商店街の入口にある古風なたたずまいが老舗「竹利商店」である。
メディア掲載
竹利商店は江戸時代末期に創業。「時雨餅」は、小豆餡、砂糖、つなぎの餅米を混ぜ、それを仕切りのある長方形の蒸籠に篩でそぼろ状に漉して入れ、平らにして蒸し上げる。赤い色の小豆餡製と、
白の白餡製がある。岸和田城内で作られた「時雨」と同じであるが、今次の戦争中、「餅」の字を付けるよう命ぜられたそうだ。
蒸しの時間の長短はあるが、薩摩地方の「高麗餅」と良く似ている。
藩主岡部長慎公の「他藩に誇れる独自の風味ある茶菓子を考案せよ」との命により誕生しました。餅であるのにべたつかず、はらはらとこぼれる様が秋の時雨のようだとこの銘を賜ったと伝えられています。 参勤交代での杉板と竹皮の包装が珍しいと評判に。
あ
か
さ
た
な
は
ま
や
ら
わ