今も変わることのない味と品質を守り続けるお菓子。
そんな『都こんぶ』は1912年(明治45年・大正元年)に京都で生まれた中野正一氏によって生み出されました。
●中野商店は生まれたばかりの『都こんぶ』を販売するためにまず駄菓子の販路に目をつけました。当時は子供相手の駄菓子屋が中心であったからこそ、菓子問屋の立ち並ぶ天王寺や松屋町へ売り込みを開始し、さらに中野正一氏は子供達の娯楽の中心であった人気の紙芝居屋にも目をつけ強力に売り込みを行ったことで、少しずつ『都こんぶ』の名前は全国に知れて行きました。
●「日本全国に広がる国鉄の駅には売店がある。小さい『都こんぶ』やったらおいてもらえるはずや」と考えた中野氏の発想で、サラリーマンのポケットにも女性のハンドバックにも入り、しかも手のひらにすっぽりおさまるサイズを基本に、現在の原型となる、小さな縦型の紙箱に目立つ赤い色に桜の花びらと都の文字の『都こんぶ』が誕生しました。
積極的なCM活動、鉄道共済会(現在のキオスク)での販売が加わり知名度が全国に浸透してきた『都こんぶ』を、どこにでも置いてあるお菓子にしたい。その思いを強固に後押しするために、当時では珍しかったテレビCMやラジオ放送を積極的に活用しました。
CMには当時のお茶の間を賑わしていた林家三平氏(1980故)や、才女で好感度の高いイーデスハンソン氏を起用、テーマソングを用いたCMによる宣伝活動を行いました。
●また、大阪市内の南北の交通手段の要である大阪地下鉄御堂筋線の各駅(新大阪~西田辺)の改札口への 広告を実施。大阪万国博覧会前後という当時最大のイベントと絡み合ったことで『都こんぶ』は知名度を高めてゆきました。
大阪ナンバ駅前のネオンサインなど工夫をこらした宣伝活動の効果もあり、水産庁長賞(昭和40年)・第17回全国菓子大博覧会大臣賞(昭和43年)を受賞した結果、昆布菓子では不動の地位を占めることになりました。
●そして平成9年(1997年)に完成した大阪府貝塚市にある二色浜工場では『都こんぶ』、『おしゃぶり昆布』シリーズが約150人のスタッフの手によって昔ながらの方法で手作りを基本に製造しております。
あ
か
さ
た
な
は
ま
や
ら
わ