黒船が来航して騒がしくなってきた江戸後期(文久二年・1862年)、売茶翁の没後100年忌に際して、青湾(せいわん)(淀川河畔桜ノ宮付近、美味しい水が採取できると太閤秀吉が命名)の地で、「青湾茶会」が盛大に行われました。
文化博覧会とも称されたこの催しの第二茶席を担当したのが、先春園の初代、荒堀源之助です。源之助は、10人両替(御用両替商)の一人、天王寺屋に奉公して番頭を務めていましたが、各界の名士が集う茶席サロンに通ううち、お茶の魅力に取りつかれ、「天王寺屋」として茶の小売業を始めたのです。その後、中国明時代の皇室の名茶園、先春山にちなんで「先春園」と屋号を改めました。
明治になり、二代目稲葉素貞は、内平野松屋町へと店舗を移して拡大、軍の特需や茶の輸出も追い風となり、業績は順調に発展していきました。
京都・宇治からの茶の運搬にも有利な船着場、八軒屋浜にも近く、初代からのご縁のある天王寺屋はもちろん、鴻池・三井・住友などの大店や、煎茶・抹茶道のお家元とも広くお取引をいただき、今日に至るまで数多くの企業や料亭、文人、茶人に愛されてお茶を商い、日本文化、お茶の心を皆様にお伝えしてまいりました。
創業170年を迎えて、改めてお茶を提供するという原点に立ち返ると、時代が変わっても「茶商の務めは一番に、お茶の愉しみを多くの方々に知っていただくことである」という代々の想いを、なお一層深く感じ入るこの頃です。
商いを通じて培ってきた全国の仕入先との連携を活かし、時代が求める「TEA」を真摯に探求する姿勢を忘れずに、創業200年を目指してまいります。
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