大阪産(もん)名品の会


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大阪産(もん)事業者の紹介

大寅蒲鉾 株式会社

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つくるも売るも買う心。

 

~創業以来百三十年余り、受け継がれてきた大寅の精神~
大阪の「大」と初代・小谷寅吉の「寅」を屋号に、創業以来百三十年余り、「大寅」は大阪ミナミ戎橋筋を本店に代々「おいしい蒲鉾・てんぷらを提供すること」に情熱を傾け、皆様に愛される商品作りに努めてまいりました。
蒲鉾のおいしさは、舌に感じる「味」と、「足」と呼ばれる歯ごたえによって決まり、優れた蒲鉾をつくるには鮮度の高い魚が求められます。現在でも社長自ら、中央市場に出向き毎日新鮮な魚を仕入れているのです。

 


大寅では代々受け継がれてきた精神 "つくるも売るも買う心" をモットーに、ご家庭で、ご進物に、また、冠婚葬祭にと幅広くご利用いただけるよう、美味しい蒲鉾・てんぷらづくりに、そして気くばりの行き届いた親切な接客に、こだわり続けているのです。

 

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明治9年、初代社長小谷寅吉が大阪沿岸で漁獲されるハモ、エソのほかに白身の小魚を原料として蒲鉾業を創業。
明治25年に大阪戎橋筋に新店舗をつくり屋号を『大寅』と定めました。
当時から、斬新なアイデアをとりいれ、今では一般的に見られる商品券の原型とも思われる "蒲鉾引換券" なども考案していたのです。

 


大正期に入り、東シナ海を漁場とする以西底曳漁業が勃興し、大寅は蒲鉾の原料魚としてこれの開発に着眼。
遂にグチを使用して在来の蒲鉾よりも勝るとも劣らない製品を創造しました。
大寅がその利用の先端を切ったので、これらの魚は「大寅グチ」、「大寅ニベ」と呼ばれ、大寅の基礎を定めたのです。この頃にも "進取の精神" が息づき、新たな開発意欲にもとづいて、多様な魚種を原料として使うことで、蒲鉾のおいしさを追求していったのです。

 


また、当時大寅はその製法を普及するために、大阪の技術者を中国、九州、北陸方面まで派遣し、技術指導に当たらせました。
このようにして絶えず大衆の嗜好に応え、業界全般の技術向上にも貢献してきました。
さらに昭和に入り二代目社長小谷権六は蒲鉾業界初めての全国団体、全国蒲鉾組合連合会の設立に寄与し、業界発展のためにも尽力したのでした。

 


戦後は昭和24年、株式会社組織として再出発し、その後もたゆまぬ品質改良の研究が重ねられ、
その中でも亀甲の模様に焼き上げられた『焼通しかまぼこ』は非常な好評を得、多くの賞を受けています。
因みに昭和24年水産庁長官賞、昭和26年、27年、28年と3度農林大臣賞、昭和26年、29年と両陛下に献上しました。

 

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また、昭和32年に総理大臣賞、37年には業界最高の栄誉に輝く天皇杯を授与されたのです。
その後も昭和、平成と現在に至るまで、農林大臣賞など多くの賞を受け、大寅は名実とともに蒲鉾のパイオニアとして歩みつづけています。

 

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一方、製造部門では昭和45年、当時としては近代設備を誇る工場を新設し生産量の増大、技術革新を図り、特に衛生面では業界に魁けて活性汚泥式汚水処理施設を設置する等、モデル工場的存在となりました。
さらに平成5年には新工場が完成し、手作りの製法のよさをそのまま取り入れた最新鋭の設備を導入。
味と品質にこだわり調理から包装にいたるまで一貫して行っております。