有平糖 菊の露本舗 喜多林堂は明治の頃より格調高い飴を作りつづけ、飴菓子最高の風味と気品を込めまして、香しい甘さの珠玉を皆々様に広くご賞味いただいています。
有平糖(アルヘイ糖)とは砂糖ばかりで飴の状態になったもののことをいい、昔ポルトガルから長崎へ舶来したものに由来します。(ポルトガル語で砂糖のことをアルヘロアとかアルヘイルなどといい、アルヘイ糖はこれが訛化したものと思われます。)大阪の飴「有平糖 菊の露」は明治28年(1895年)喜多林堂初代鶴澤伝六が京都にて有平糖細工の修行中、有平糖の泣き所である砂糖に戻る性質を克服し創製したもので、極上の白双糖を長時間とろ火でアク抜きした後、煮詰めてこしらえました逸品です。
明治41年(1908年)には商標登録(登録番号33964)を行い当時の砂糖の貴重な時代に「菊の露」は滋養菓と表現されていました。
「菊の露」の命名は菊の花びら(あるいは葉)に溜まる露をのめば長寿を保つとの故事に因み、その形並びに琥珀色の色目を菊の花びらにおく露に観立てたものであります。
昭和7年には昭和天皇天覧御買上の栄誉を賜りその製造風景を見ることができます。戦前の大阪市南区笠屋町での製造風景です。製造場内にしめ縄をめぐらし、製造者全員白衣、マスク着用で製造に挑んでいます。奥にかかった時計の示す時間は午前二時四十分で昼の喧噪のなか埃にまみれた不浄な時間を避けるということで夜中に製造をしていたようです。右から3人目が2代目鶴澤梅太郎、左隣が3代目鶴澤寅彦です。当時は一鍋一貫目での仕込みで成型は手作業です。細く伸ばした飴を飴ばさみを用い手切りで裁断していきます。その後細断された飴の角を指でつまむ作業が見て取れます。指の先には竹の皮を巻き作業をしていました。
昭和12年(1937年)には貞明皇后台覧御買上の栄誉を賜り、昭和31年(1956年)には昭和天皇天覧、貞明皇后台覧の栄誉を賜りました。戦時中空襲で本店が消失、戦前の記録はほとんど残っていないものの「菊の露」は三越、大丸が呉服店から百貨店に変遷した当時より取扱をいただき全国的にも大阪の銘菓として名をはせたと聞き及んでいます。
現在も包装形態や成形方法は変わりましたが創業当時より変らぬ煮詰め、炊き上げ方法など、手間暇をかけ忠実に作り上げております。上質の砂糖特有のあっさりとした甘さとパリパリとした歯あたりの良さが特徴です。
明治28年 | 初 代 鶴 澤 伝 六 | 有平糖 菊の露を創製・創業 |
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明治41年 | 「菊の露」商標登録(登録番号33964) |
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大正13年 | 二代目 鶴澤 梅太郎 | 三越・大丸呉服店等が百貨店形態になり取引開始 |
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昭和 7 年 | 昭和天皇天覧御買上 |
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昭和12年 | 貞明皇后台覧御買上 |
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昭和22年 | 三代目 鶴 澤 寅 彦 | 戦後、大阪市南区笠屋町(島之内)で復興 |
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昭和31年 | 昭和天皇・貞明皇后 天覧台覧 |
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昭和40年 | 四代目 鶴 澤 義 尚 | 第24回全国菓子大博覧会 中小企業庁長官賞受賞「菊の露」 |
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平成14年 |
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平成19年 | 五代目 鶴 澤 尚 哉 | 代表取締役に就任 |
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平成20年 | 第25回全国菓子大博覧会 日本百貨店協会会長賞受賞「割板ピーナツ」 |
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平成22年 | 「菊の露」が大阪産(もん)名品に認定 |
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創業期より大阪市南区笠屋町(旧、島之内・現、中央区東心斎橋)にて、昭和40年迄営業(戦時中は一時中断)。
昭和41年より住吉区苅田にて営業、昭和52年より阿倍野区阪南町に工場を開設現在に至る。
商号 株式会社 喜多林堂
代表取締役 鶴澤尚哉
住所 〒545-0021 大阪市阿倍野区阪南町1丁目23番8号
TEL 06-6662-3451
FAX 06-6622-7038
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