大阪産(もん)名品の会


大阪産(もん)名品の会

大阪産(もん)事業者の歴史


株式会社 小島屋

いにしえの堺の町は南蛮貿易が栄え、海外から珍しい産物がここを通ってわが国へ紹介された例も多く、『けしの実』もそのひとつで室町時代インドからもたらされたと言われ、堺近郊で盛んに栽培されておりました。
安土桃山時代に移り、千利休によって広められた茶の湯の習慣は堺の地で多くの和菓子を生み出し、そのひとつにケシの香味を生かして考案されたのが『けし餅』です。けし餅は進物用や土産物として昔から親しまれてきました。
そして近年新たな取り組みとして、この味を若い人にも知ってもらおうと『けし餅ロール』を開発いたしました。
おかげさまで発売当初から品切れが続くほど多くの方から支持される商品となりました。
今後も昔ながらの味を守りながら、お客様に親しまれ、懐かしんでいただける堺の銘菓として歩み続けてまいります。

受賞

大正8年以降 全国菓子品評会において毎年各種賞、牌受賞多数。
昭和2年 貞明皇太后陛下御嘉納はじめ各御皇室お買上げ。
昭和4年 7年 昭和天皇陛下の天覧ならびにお買上げ。
昭和45年 日本万国博覧会記念全国菓子品評会おいて万博会長賞受賞。
昭和63年 食品衛生優良施設、厚生大臣表彰受賞。
平成20年 日本経済新聞、日経プラスワンランキングに掲載。全国7位

 

 

●小島屋の詳しい紹介はこちら


株式会社 小鯛雀鮨鮨萬



◆おおさかすしとすし萬
承応二年(1653)創業
鮨萬(すし萬)は、承応二年(1653)に創業いたしました。 正確にはその頃魚の棚(現在横堀二丁目付近)で魚屋渡世をし、副業に雀鮨を作っておりましたが 天明元年(1781)の頃、京都の宮廷へ献じるにあたり西宮沖の小鯛の二才物を用いて雀鮨を作りましたところ評判を得ましたため、 雀鮨専門となりことさらに総本家小鯛雀鮨と称しました。 おそらく義太夫で名高い吉野(奈良県)の釣瓶鮓と共に、すし業のはしりではないかと思われます。





初代河内屋長兵衛より十五代・三百六十年の間に禁裏御鮨師を世襲し、 明治元年・五年には津村別院(北御堂)で明治天皇の御用命を蒙り、 御膳所御用御包丁人の看板が下されております。





昭和十七年戦争による一時的な休業はございましたが、 昭和二十五年四月組織を法人に改め関西圏以外の土地でも すし萬のおすしを広く皆々様に食して頂けるようになりました。
 
最近でも三笠宮 秋篠宮家はじめ宮内庁の御下命をいただき今日に至ります。





◆皆様に愛される「すし萬のおすし」へ

戦争が終わり、高度成長期へ。
デパートでお鮨が食べられる時代になる中、大阪のデパートですしの販売をはじめたのもすし萬が関西初となります。 昭和五十八年には株式会社小鯛雀鮨鮨萬と組織改編を行い、平成二十六年、現十六代萬助・小倉康宏が家業を継承しました。創業から現在まで関西はもとより東京・名古屋と多くの店舗出店を行い、大阪すしとすし萬の味を広めてまいりました。
 
これからも、伝統を守りながら新しいものを取り入れ、 皆様に愛される「すし萬のおすし」をお届けいたします。




株式会社 塩五

当店は『塩五』といいます。『塩五』と書いて「しおご」とよみます。「しおご」では発音しにくいので、地元ではなまって「しょうご」とよばれることのほうが多いかもしれません。

初代塩屋五兵衛は、それまで代々、干菓子やニッキ餅などを作って商売をしていた泉佐野の地をはなれ、貝塚で新たに菓子屋を開業しました。それが、江戸時代末期、幕末の安政元年(西暦1854年)のことです。当店では、この年をもって創業の年としております。
店名は、家号にちなんでいます。創業者の塩屋五兵衛(明治維新後、塩谷姓となる)は、その名から『塩五』と呼ばれ、家業を継いだ子孫も代々「五」の字がつく名が多く、塩谷家は今日にいたるまで、『塩五』の家号で地元では呼ばれてきています。家号の『塩五』とは別に、明治の中頃からは、「塩谷堂(しおたにどう)」という店名で営業していましたが、『塩五』の方が名の通りがよく、昭和四十年代半ばころより、店名も『塩五』となりました。平成四年(1992年)には法人化して、「株式会社塩五」としました。

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二代目 塩谷五平

明治36年(1903年)に大阪で開催された第五回 内国勧業博覧会に村雨を出品した時の
入場者証。

 


株式会社 嶋屋

2代目.jpg創業70年

戦後間もなく大阪阿倍野の地で焼芋屋として、創業しました。
庶民のおやつ、お土産物として創業以来、阿倍野界隈の人々に愛されてきましたが、情報社会の現代においては、他府県からの購買者も増え大阪は阿倍野の名物として認識されています。

嶋谷屋で一番の人気の「名物 あべのポテト」は、創業当時から変わらぬこだわりの方法で
作られています。厳選された薩摩芋とこだわりの揚げ方、そして独自の蜜で地元関西だけなく全国で愛されています。

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ほくほくのポテトと大阪弁で書かれた包み紙に気持ちもほくほくします。

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メディア掲載

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●嶋屋の詳しい紹介はこちら


株式会社大黒屋

 

沿革

 

大正12年10月 大西義一(先々代社長)個人にて開業。ソース及び食酢の製造を開始。
昭和23年12月 株式会社大黒屋を設立。
昭和36年10月 守口工場を新設。醤油の製造を開始。
昭和37年03月 清涼飲料水の製造を開始。
昭和41年09月 本社ビル落成(4階建)。
昭和42年03月 ウスターソース類製造を完全オートメーション化。
昭和44年10月 清涼飲料水製造を完全オートメーション化。
昭和55年06月 コンピュータシステム導入。
昭和57年03月 『酎割』の製造を開始。
昭和60年10月 本社倉庫兼事務所を増設(3階建延300坪)。
平成03年03月 自動充填機(ピストン式)設備の拡充。
平成13年08月 『酎割』充填機新機種導入、充填工場を改装。
平成15年10月 創業80周年。
平成16年04月 品質管理室の拡充、小ロット生産設備設置。
平成20年06月 大阪市港区新工場完成(クリーンルーム完備)。

 

 

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