大阪産(もん)名品の会


大阪産(もん)名品の会

大阪産(もん)事業者の歴史


株式会社 喜八洲総本舗

 弊社は昭和23年、淀川区の十三で営業を開始しました。屋号の「喜八洲」は「菓子業により八洲(日本中)の皆様に喜んでいただこう」という思いで名付けられました。「最高の材料を使い、手頃な値段で手作りの味を甘党のお客様に!」をモットーに、創業より「酒まんじゅう」「みたらし団子」を中心に発展を遂げ、今年で創業62年になります。

 


 

「みたらし団子」は創業当時、「餡の苦手な人にも和菓子を」という思いから開発されました。餅粉と米粉を絶妙なバランスで配合し蒸し上げた団子を、ご注文を頂いてから強い直火で炙ります。表面に香ばしく焦げ目が付いたら、自社特性のタレの中をくぐらせます。このタレに特徴があり、まず北海道厚岸産の上質昆布でダシを取るところから始めます。その後、香川県産たまり醤油と白ざら糖を炊き合わせ、弊社独自の関西風昆布ダシの効いたタレの完成です。もう一つ団子の形が円筒状と変わっているのは、炙った時に焦げ目がつきやすく、またタレの絡みをよくするためです。

 

 

「酒まんじゅう」は昭和28年に創業者である中田治吉が淡路島の小原屋酒饅頭本家四代目北条喜四郎氏より正式に五代目酒饅頭家元を譲り受けました。当時は直径5.5cm、約40gの小判型をしており、1個五円。戦後で甘い物が少なかった時期ということもあり、大変好評を頂いたのが最初でした。以来現在に至るまで、機械化を進めつつも伝統の味とその精神を引き継ぎ、変わらぬ「酒まんじゅう」をご提供しております。

 

 


 

 



●喜八洲総本舗の詳しい紹介はこちら



株式会社 銀装

大阪ミナミ随一の繁華街「心斎橋」にて創業60年のカステラの老舗。熟練の職人達が天恵の素材を使い創業当時の伝統技法にてカステラを作り続けています。

長崎カステラにない「あっさり」、「ふんわり」、「キメ細やか」な味わいが古くから関西の方々に愛され続けています

 

創業者 赤木康夫創業者 赤木康夫.jpg

創業時社員一同創業時社員一同.jpg

 

 

心斎橋本店創業当時心斎橋本店創業当時.jpg 50年前の心斎橋本店50年前の心斎橋本店.jpg 50年前の羽衣工場50年前の羽衣工場.jpg

 

 

【沿革】


昭和 27(1952)年 8月 心斎橋にて創立
昭和 27(1952)年 9月 心斎橋店営業開始 カステラ製造販売
昭和 28(1953)年 大阪府高石市に『羽衣工場』開設
昭和 31(1956)年 クッキーの製造開始
昭和 32(1957)年 羽衣工場増設(本格的なカステラの生産開始)
昭和 34(1959)年 有名百貨店へ進出
昭和 36(1961)年 「紙の缶詰」カステラ長期保存法特許取得
昭和 37(1962)年 卵黄白分離機特許取得
昭和 39(1964)年 銀装カステラ21 発売
業界初1,000窯/日 達成
昭和 41(1966)年 銀装カステラ11 発売
昭和 43(1968)年 『名古屋営業所』開設
昭和 44(1969)年 『東京支店』オープン
昭和 46(1971)年 7月 業界初のカステラ連続窯設置
昭和 47(1972)年 ジャージープリン 発売
東京支店独立『株式会社東京銀装』発足
昭和 53(1978)年 名古屋営業所独立『株式会社名古屋銀装』発足
昭和 55(1980)年 9月 デザートレストラン『カフェ・ラ・サール』本店2Fにオープン
企業イメージ一新を図りCI導入
昭和 58(1983)年 4月 東京銀装『藤沢工場』開設
昭和 59(1984)年 3月 果実入りゼリー"フルールブリアン"発売
昭和 59(1984)年 5月 通信販売『伝書鳩便』スタート
平成 3(1991)年 羽衣ビル完成直営店『フロリードハウス』オープン
銀装カステラ21・11をスライス2パック化
平成 6(1994)年 4月 『心斎橋本店』リニュアルオープンに伴い、熟練職人による "窯出しカステラ"発売開始
『カフェ・ラ・サール』リニュアルオープン
平成 8(1996)年 『フロリードハウス』リニュアルオープンに伴い、熟練職人による "窯出しカステラ"発売開始
黒糖カステラ発売
平成 13(2001)年 抹茶カステラ発売
平成 17(2005)年 7月 『株式会社名古屋銀装』を合併する
平成 21(2009)年 11月 『株式会社東京銀装』を合併する

米忠味噌本店

当店は延享2年(1745年)、加賀藩の両替商であった能登屋仁左エ門が金沢より大阪へ出、宝暦年間(1750年代)より西船場・江戸堀で米屋を開いたのがはじまりです。本業のかたわら米麹の製造も手がけ、さらに近隣の武家屋敷での味噌仕込みのお手伝いをするようになりました。

 


この味噌が大変おいしいと評判を呼び、ついに文政3年(1820年)初代忠助が味噌の醸造販売を専業にすることとなりました。
この時「米屋の忠助」より屋号を「米忠」としたのです。

江戸時代中頃まで味噌は各家庭で造るものでしたが、当時は都市文化の円熟にともなって専門の味噌屋が造る味噌への移行期にあたり、米忠は食い倒れ大阪の味として多くのご家庭や料理人からご愛用いただくようになりました。


 


特製赤味噌化粧箱入
明治に入り、八丁味噌に代表される東海地方の豆味噌が紹介されると、それまで料亭の赤だしに使用していた長期醗酵の米味噌(特製赤味噌)に豆味噌を調合し、コクの強い現在の赤だし味噌が完成します。



 


戦時中の統制による休止期をはさみ、戦後製造を再開すると阪神地域の百貨店各店に進出して販売網を拡大。昭和50年には工場を新築して技術の向上に努め、よりお雑煮にふさわしい味噌「もち米入り白味噌」(昭和61年新発売)に結実しました。

フレンチレシピ

 


フレンチレシピ
21世紀に入ってからは従来主要な用途であった味噌汁・和食に限らない新たな味噌のあり方を模索。即席味噌汁や味噌スイーツ、味噌を使ったフレンチレシピなどの開発に取り組んでおります。



 


「即席味噌汁《特赤・淡醸》」グッドデザイン賞
このうち「即席味噌汁《特赤・淡醸》」は平成25年に味噌として初めてのグッドデザイン賞を受賞いたしました。

 


日本人の食文化が移ろいゆくなかで、変わらないものを支えつつ、新たなものを提案していきたい。それが米忠の思いです。

 

 

延享2年~宝暦 能登屋仁左エ門が大坂江戸堀の地にて米問屋を営む
文政3年 味噌屋専業となる
大正6年 製造部門を東成郡鯰江村(現・大阪市城東区)へ移転
大正10年 宮内省の御用を賜る。また、軍への納入を行う
昭和12年 江戸堀本店を現在の場所へ移転
昭和17年 統制により米忠味噌としての製造を休止(組合として製造)
昭和26年 米忠味噌としての製造を再開
昭和27年 阪神百貨店(梅田本店)へ出店
昭和30年 近鉄百貨店(阿倍野本店)へ出店
昭和32年 三越大阪店(北浜)へ出店
昭和39年 そごう神戸店へ出店
昭和40年 そごう心斎橋本店へ出店
昭和41年 製造部門を独立させ、米忠味噌(株)設立
昭和50年 現在の工場を新築
昭和61年 「もち米入り白味噌」発売
平成10年 「茄子もろみ」発売
平成12年 「賑わい漬」発売
平成17年 フリーズドライ式即席味噌汁を発売
三越大阪店(北浜)閉店により撤退
平成19年 そごうでの販売を直販から納品に変更
平成22年 「柚味噌羊羹」発売(大阪の駿河屋さん製造)
「味噌ショコラ」発売(赤味噌・白味噌・柚味噌:Ek Chuahさん製造)
平成25年 「即席味噌汁《特赤・淡醸》」新パッケージ版がグッドデザイン賞を受賞
平成26年 京阪百貨店での取扱開始

 

 

受賞

・2013年 グッドデザイン賞 こちら

 

●米忠味噌本店の詳しい紹介はこちら


小山梅花堂

天保十年(1839年)創業

岸和田(泉州)紀州街道沿いで創業し現在で180年余

 

 

初代当主は板屋藤兵衛
板屋藤兵衛は当時の屋号にもなっており、
年配の方の中には昔からの名残で「板藤さん」(板屋藤兵衛の略)と呼ぶ人もいます。

 

岸和田城主岡部家に様々な菓子を献上しており、梅花むらさめの他にも季節ごとの上生菓子なども献上している。中でも梅花むらさめとこなしとよばれる菓子、こしあんのまんじゅうなどは特に好んで食べられていたと伝えられています。

梅花むらさめ 「梅花むらさめ」

 

小豆あんと米粉と砂糖を混ぜ合わせて裏ごしをかけそろぼにした後、蒸し上げます。冬の初めにみられる降ってはさっと上り、やんではまた降る雨のようなさまがこのお菓子の銘となりました。散りばめた小豆は梅を見立てています。


 

小山梅花堂本店

 

小山梅花堂本店

 

 

■メディア掲載

昭和期を代表する詩人 中村汀女が著した「伝統の銘菓句集」の中に「梅花むらさめ」
が出てきます。
来店された多くのお客様が手にされ擦り切れていますが大切に保管されています。

梅花むらさめ koyamabaikadou_history_4.jpg
初冬にかけて見られる、激しく降ってはさっと上がり、やんではまた降る雨をむらさめといいます。 この美しい言葉を銘にしたのが"梅花むらさめ"。 この菓子は、小豆あんとみじん粉と砂糖を混ぜ合わせ、あらい裏ごしいかけてそぼろにし、箱に入れて蒸し上げた竿ものです。

 

梅花むらさめ だんじりという勇壮なお祭りで有名な岸和田で170年以上の伝統を持つ「小山梅花堂」。
岸和田藩主への献上菓子だった「梅花むらさめ」は、小豆あんと米粉を蒸し、そぼろにしたさお状の生菓子で、梅の花に見立てた小豆が散っています。黒文字を入れると、ほろほろっとくずれそうな優しい感じで、小豆の香りが生きたほのかな甘み。お抹茶と一緒にいただきたい上品なお菓子ですね。


 

梅花むらさめ ほろほろと崩れる心地のいい口溶けの梅花むらさめ。
岸和田で1839年に創業の老舗「小山梅花堂」の代表銘菓で、岸和田藩主にも献上されていたという献上菓子だ。生地は小豆餡と米の粉を蒸したもの。創業以来、変わらぬ味を守ろうと現在でもひとつひとつ手作りされている。素朴ながらほどよい甘さと上品な味わい。好みのサイズに切り分けて頂くが、軽い食感も手伝ってたくさん頂きたくなってしまう。


 

梅花むらさめ だんじりで有名な岸和田の名物で、小豆あんと米粉を蒸し、そぼろにした棹状の生菓子。梅の花に見立てた小豆が散らされている。口の中でほろっとくずれるやさしい食感、小豆の香りを生かすほのかな甘みに品の良さを感じる。


 






株式会社 末廣堂

元禄年間、時の堺奉行所の代官、水野伊予守が薩摩から種芋を取り寄せ、半田山(現在の堺東山)で始めて栽培し、その後、松屋新田から今の難波、木津、住吉新田あたりで作られ、当時から浪華の人達の最も参詣が多かった住吉大社の門前町の店々で、蒸し芋として売り出され、愛好されるようになりました。(当時はさつま芋の事を産地の名をとって「半田山」といったそうです。)

 


しかしその後、明治から大正と時代が移り変わるにつれ、交通運輸が盛んになり、地方から品種改良された美味な甘藷が続々入荷され、昔から珍重された住吉の蒸し芋は、昭和十年頃にはその影をひそめてしまいました。明治初年に創造された父祖伝承の「さつま焼」は、その昔、住吉物産であった"さつま芋"に形どった、往時の住吉いもの名残りをとどめた野趣と雅味を兼ねそなえた銘菓であります。



 


 


 



 


末廣堂の歴史

 


■明治四十四年八月十三日

 内国共産品博覧会において一等賞金牌受賞

 


■大正十一年三月三十日

 貞明皇后 住吉大社御参拝の砌 献上の栄
 

 


■大正十四年五月五日

 秩父宮殿下 住吉大社御参拝の砌 献上の栄
 

 


■大正十五年三月二十五日

 澄宮殿下 住吉大社御参拝の砌 献上の栄
 

 


■大正十五年四月十五日

 閑院宮殿下 住吉大社御参拝の砌 献上の栄
 

 


■大正十五年六月七日

 久邇宮同妃両殿下 住吉大社御参拝の砌 献上の栄
 

 


■昭和十二年二月二十六日

 秩父宮同妃両殿下 住吉大社御参拝の砌 献上の栄
 

 


■昭和十六年四月十三日

 久邇宮大妃殿下 住吉大社御参拝の砌 献上の栄
 

 


■昭和二十八年五月十六日

 義宮殿下 住吉大社御参拝の砌 献上の栄
 

 


■昭和三十二年九月二十日

 三笠宮同妃両殿下 桃山学院新築落成式典御台臨の砌 献上の栄
 

 


■昭和四十五年七月二十三日

 昭和天皇皇太后陛下 住吉大社御参拝の砌 献上の栄
 

 


■昭和四十七年五月二十三日

 高松宮同妃殿下 住吉大社御参拝の砌 献上の栄
 

 


■昭和五十二年十一月十一日

 礼宮殿下 住吉大社御参拝の砌 献上の栄
 

 


■昭和六十年九月二十五日

 伊勢神宮祭主鷹司和子様 住吉大社御参拝の砌 献上の栄

 



 


末廣堂の歴史

 



 

 

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