大正2年(1913年)先々代、下條明治郎氏が、市内勝山通りにて、「冨士屋製菓」として豆菓子の製造を開始。
弊社、創業者北野留 三郎が、奉公を始め、職人として、豆菓子製造の技術向上に大いに寄与。戦中の材料不足により、その製造を中断していたが、戦後、昭和22年に「冨士屋製 菓」の屋号を引き継ぎ、昭和28年「株式会社冨士屋製菓本舗」に改称し、以来、2代目北野啓史、3代目北野登己郎と引き継がれ現在に至る。
創業以来、豆菓子製造の専業メーカーとして、熟練の職人による伝統的製法を守りつづけています。
■大正2年
弊社創業者、北野留三郎が、先代「冨士屋製菓」に奉公にあがる
■昭和28年
戦時中、一時中断するも、製造を再開し、「冨士屋製菓」の商号を引き継ぎ、会社を創立する
■昭和40年代
代表商品「豆味さん」がヒットし、業務を大幅に拡大する
■昭和52年
全国菓子博覧会にて「名誉総裁賞」を受賞し、あわせて、2代目社長 北野啓史が代表取締役に就任
■昭和60年代
製造設備の充実により、欧州向け輸出が順調に伸長する
■平成3年
3代目社長 北野登己郎の入社、と同時に新社屋の竣工
■平成14年
熊本菓子博覧会にて、代表商品「雀の玉子」「味くらべ」が、各賞を受賞
■平成15年
2代目社長 北野啓史が菓子業界への貢献により大阪府より「産業功労賞」を受賞
■平成19年
新シリーズ「ビーンズ工房 楽豆屋」での新業態への展開開始
■平成20年
自社WEBサイト「ビーンズ工房 楽豆屋」を開設
■平成22年
富田林商工会より地域ブランド「富田林ブランド」認定第1号を受ける
「雀の玉子」が大阪府より府認定の加工食品の名産品「大阪産(もん)名品」の認定を受ける
■平成23年
3代目 北野登己郎が、代表取締役に就任する
前田直衛・画 『浪速の老舗』(第73回院展 無鑑査出品)
弊店社名の由来は、初代が文楽人形の絵柄などを玉子せんべいに焼き込んで評判を得た、
昭和20年ごろに遡ります。
当時、文楽の初代人間国宝・豊竹山城少掾よりその家伝の菓子に「文楽せんべい」
(伽羅浪速鑑:大阪の鑑となる菓子の意)の銘を受けて後、菓銘が社名となりました。
文楽の ゆかしき味は 浪速なる 人のかがみと たたへうたはむ
−山城少掾−
この銘文の進呈を受けた初代の感動を想起し、将来に向けて永々と伝えるため、
『世界に誇る人形浄瑠璃「文楽」を、商標に戴く幸せと責任を心得て、菓子づくりに精進します』
これを店のテーマと定め、私どもの社是と致しております。
1945年(昭和20年) |
難波新地4番丁に店舗「蓬莱食堂」建設。創設者 羅邦強 従業員男子5名・女子10名 創業当時はカレーライスを販売。爆発的人気を呼ぶ。 |
1946年(昭和21年) |
551の豚まん誕生。難波新地5番丁に南店新設。洋菓子部新設・クリスマスケーキ記録的売上げ。 |
1947年(昭和22年) |
蓬莱食堂焼失・再建 料理飲食閉鎖令のため、和洋菓子専門店として発足。食堂経営復活。本格的広東料理店として営業。 |
1948年(昭和23年) |
東邦自動車株式会社設立 |
1952年(昭和27年) |
蓬莱角店で、豚まん・焼売の実演販売開始 |
1953年(昭和28年) |
株式会社設立、登記完了。社長 羅邦強、従業員男子50名・女子150名 |
1954年(昭和29年) |
アイスキャンデー工場(浪速区新川町)建設、販売開始。 |
1956年(昭和31年) |
社長、米国・欧州各国視察旅行(80日間)。別館に、大阪で初めての自動ドアを設置。 |
1957年(昭和32年) |
そごう大阪店に出店(百貨店出店第1号) |
1960年(昭和35年) |
大阪高島屋に出店 |
1962年(昭和37年) |
蓬莱本店、別館火災により焼失、仮設店舗で営業継続。 |
1963年(昭和38年) |
天満橋京阪ストア地下お好みコーナー(旧松坂屋)に出店。営業システム変更、独立採算制採用(角店・中店・別館) |
1964年(昭和39年) |
新しい株式会社 蓬莱発足。社長 羅邦強、従業員男子30名・女子110名 |
1965年(昭和40年) |
阪神百貨店・港町弁天埠頭ビル・中之島サンストアに出店 |
1966年(昭和41年) |
ドージマ地下センターに出店 |
1967年(昭和42年) |
難波八阪神社前に工場設置(八阪工場) |
1969年(昭和44年) |
新八阪工場竣工 |
1970年(昭和45年) |
ミナミ地下街虹のまち「鹿鳴」開店。京阪ショッピングモール(京橋)、京阪デパートに出店。 |
1972年(昭和47年) | 奈良近鉄に出店。浪速区新川町に軽食堂新川店開店。 |
1974年(昭和49年) |
浪速区新川町に鉄筋4階建食堂「なんば新川店」開店。同新川町に新川売店開店。 |
1976年(昭和51年) |
上本町近鉄・淀屋橋サンストア(現ネクスト1淀屋橋)に出店。 |
1977年(昭和52年) |
アベノ近鉄に出店。蓬莱食品株式会社設立。 |
1978年(昭和53年) |
南海なんば駅・東大阪近鉄に出店 |
1980年(昭和55年) |
京都近鉄に出店。割烹 蓬莱 オープン。 |
1981年(昭和56年) |
国鉄(現JR)大阪駅に出店 |
1982年(昭和57年) |
泉北高島屋に出店。浪速区難波に本社ビル竣工。 |
1983年(昭和58年) |
堺東店オープン。梅田大丸に出店。 |
1984年(昭和59年) |
京都高島屋に出店。バレンタインデーに「ハート豚まん」販売開始。 |
1985年(昭和60年) |
天王寺駅・上本町近鉄軽食街・国鉄(現JR)新大阪駅に出店。浪速区稲荷町に新工場(稲荷工場)竣工。 |
1986年(昭和61年) |
南海高野線堺東駅・神戸大丸に出店。蓬莱パンチャン551開店。 |
1987年(昭和62年) |
羅 邦強社長が会長、羅 辰雄副社長が社長へ就任。吉本興業「ピンクダック」起用新CMスタート。京阪グルメアべニューに出店。 |
1988年(昭和63年) |
和歌山高島屋・守口京阪に出店 |
1989年(平成元年) |
チャイニーズバー「大世界」開店。アステ川西・千里阪急・奈良そごうに出店。手提袋のデザイン「551HORAI」に一新。 |
1990年(平成2年) |
神戸そごう、阪急三番街に出店 |
1992年(平成4年) |
大阪空港に出店 |
1993年(平成5年) |
吉本興業のトゥナイト起用新CMスタート。5/1 551の日大盛況。南海新今宮駅に出店。 |
1994年(平成6年) |
蓬莱飲茶551オープン。枚方近鉄・枚方京阪に出店。御堂筋パレードに吉本興業と合同で初参加(活力賞受賞)。稲荷工場にてセット宅急便スタート。創業50周年記念式挙行 |
1995年(平成7年) |
阪急梅田駅、三宮駅、十三駅、関空エアロプラザに出店。御堂筋パレードに吉本興業と合同参加(2年連続活力賞受賞) |
1996年(平成8年) |
OCATモールに蓬莱パンチャン551出店。稲荷工場が厚生大臣賞受賞 |
1997年(平成9年) |
阪神百貨店B2フードテリア内「蓬莱飲茶551」、阪急西宮北口駅、阪急塚口駅、阪急川西能勢口駅、京都伊勢丹、JR京都駅に出店。パンチャン福島店開店 |
1999年(平成11年) |
伊丹空港「飲茶カフェ」開店 |
2000年(平成12年) |
創業55周年記念式挙行。メディオ新大阪店オープン |
2001年(平成13年) |
心斎橋大丸・生駒近鉄に出店 |
2002年(平成14年) |
JR新大阪駅構内に出店 |
2003年(平成15年) |
西宮阪神・京都大丸に出店。瑞翠・蓬莱飲茶551(なんば)・嘉義(福島)オープン |
2004年(平成16年) |
橿原近鉄・北花田阪急に出店。アイスキャンデーデザイン一新。浪速区桜川に新工場建設工事着工。関西空港レストラン開店。 |
2005年(平成17年) |
新工場竣工。くずは京阪に出店、創業60周年記念式挙行 |
2006年(平成18年) |
嘉義改装→551蓬莱福島店オープン |
2007年(平成19年) |
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2008年(平成20年) |
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2009年(平成21年) |
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2010年(平成22年) |
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2011年(平成23年) |
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2012年(平成24年) |
5月 JR大阪駅チルド売店オープン。 12月 大津サービスエリア(上り)店オープン。 |
2013年(平成25年) | 4月 社内報「蓬莱ニュース」創刊400号を迎える。 |
2014年(平成26年) | 2月 パンチャン店2階リニューアルオープン。 |
2015年(平成27年) | 2月 アルデ新大阪店リニューアルオープン。 |
室町時代(天文元年)より菓子屋吉右衛門として開業。オランダおよび諸外国との国交が盛んであった堺の町にあって、芥子餅・泰平餅として名付けた菓子を創案、豊臣時代に入っては千利休の好みにより広く賞賛され、名菓として栄される様になりました。 独特最高の原料を使用、一子相伝の製法により、吟味はもとより470余年よりの菓子として現在に至ります。
受賞
メディア掲載
堺には和菓子処が多い。
貿易港として栄え、町人たちの自治都市だったこと、侘び茶を完成させた千利休のお膝元だったことなど、いくつも理由がある。
・・・・
さて、その芥子餅。持つと、ふわふわしている。
プチッと香ばしい芥子の食感が魅力だ。餅もやわらかい。食べると、まず芥子の香ばしさが立った後、ふわふわの餅が口に広がる。
中の餡も、優しい味。上質の芥子と、きめ細やかな餅、丹念に練り上げられた餡の三つが相まって、美味な世界へようこそとなるのだ。
渋めのお茶もしくはあっさり系の白ワインが合う、と私は思う・・・
松前屋は100年近くの間、昆布の味を追求してきました。それはすなわち「和の食文化」に対するこだわりでもあります。
あ
か
さ
た
な
は
ま
や
ら
わ