戦後より大阪の地で、ラムネを製造してまいりました。先代からの味と製法を引き継ぎ、今もラムネの特徴であるビー玉を利用した反転充填法で製造しております。ラムネのみならず、シャンメリーも製造しており、夏のラムネ、冬のシャンメリーを順番に製造しています。ラムネをもとに、大阪の会社であることを生かし、全国へもっと知って頂くために、たこ焼風ラムネなどの大阪をイメージしたラムネもつくりました。大阪から全国へ、また世界へ輸出も初めており、日本の文化にもなりつつあるラムネが海外でも飲まれることも増えてきました。
メディア掲載・出展
●2015
関西テレビ | RANKO&MAYUのお騒がせPOLICE
●2010
フジTV | ホンネの殿堂!!~紳助にはわかるまいっ~4時間スペシャル!
●東京ビッグサイト | FOODEX JAPAN2015 出展
●幕張メッセ | スーパーマーケット トレードショー2015 出展
嘉永弐年(1849年)初代彦次郎が、大阪島之内にて創業に始まります。以来、六代・百六十年有余年の間、香煎の老舗として皆様に愛されております。さらに今、伝統に培われた独自の技法により常に新しい嗜好を加味し、おいしい本物の菓子作りを探求し続けております。
創業以来、「播彦」は煎餅一筋に歴代「人の和」「創意工夫」「信頼と感謝」をモットーに営々努力を重ねております。
「人の和」
播彦の存在は代々の人々の努力と協力によるものであります。
現在全国に当社出身の方々が煎餅業界で活躍しており「播彦会」の名称で親睦と相互の繁栄に寄与しております。この良き伝統は個々日々の研鑽と自己管理助け合いの中に生まれてきたものであり将来に渡り社内に育まれていくでしょう。
「創意工夫」
伝統は守る事ではなく自ら創り出す事にあります。人々の生活形態が変ると食生活も変化を受けてまいります。当社に於きましても創意工夫は企業の存立と誇りであります。お客様により良い商品を提供する事は基本であり、むしろ古伝の技法と革新の技術知識で当社独自の新しい味覚を創り出し、少しでも食生活にうるおいをもたらされる事は菓子業界に籍を置く当社の使命だと思います。
「信頼と感謝」
当社商品は添加物を一切使用致しておりません。
厳選した原材料と自然の風味を生かす技術と味覚でお客様により良い商品を提供し、信頼を得ており安心して食していただける事に生産者として責任と喜びを感じております。
150 有余年間「播彦」の商号で営まれるのはお客様の御愛顧に支えられたもので常に感謝の心と謙虚な気持ちを大切にしたいと思っております。
沿革
嘉永二年 | 大阪島の内に創業 |
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大正5年 | 瓦町に移転 |
昭和4年 | 空堀通に移転 |
大正5年 | 瓦町に移転 |
昭和20年 | 阿倍野に工場新設 |
昭和26年 | 空堀通りに工場統合 |
昭和32年 | 北桃谷に工場新設 |
昭和39年 | 店舗と切り離し東大阪に本店工場を統合する |
昭和41年 | 法人組織にする |
昭和43年 | 第一期本社社屋増設 |
昭和50年 | 宝町工場新設 |
昭和54年 | 第二期本社工場増設 |
昭和54年 | 奈良学園前店開店 |
昭和55年 | 第三期本社工場増設 |
昭和62年 | 高島屋大阪店オープン |
平成2年 | 阪神百貨店梅田店オープン |
平成3年 | 第四期本社社屋増設 |
平成7年 | 播彦グループの半生菓子部門として(株)野村の工場を大阪市西区に工場新設 |
平成9年 | 宝町工場増設 |
平成11年 | 瓢箪山店開店 |
平成13年 | そごう横浜店オープン |
平成15年 | 東大阪店開店 |
平成16年 | 南生駒店開店 |
平成17年 | 東大阪市三島3-1-12に新社屋移転(宝町工場、㈱野村の大阪工場を統廃合) |
平成21年 | 鴻池駅前店開店 |
屋号と花車(商標)のこと
弊社は1948(昭和23)年に、創業者岡本八稚朗(現会長)によって、大阪宗右衛門町で和菓子の商いを始めました。当時の屋号は「福壽堂」といいます。雪の中より黄金の花を開く福寿草に創業の志を託して、弊店はスタートしたのです。
また「観音経」という経典には「福聚(壽)海無量」という言葉があります。屋号に選んだ「福壽」という言葉には、和菓子を通じて福が広く無量の海のごとく世に行き渡ることを願った創業者の気持ちが込められてもいるのです。
この心意気は、弊社の商標である花車にも表されています。
商標「花車」は二つの部分からなっています。
まず御所車の文様部分は、伊勢神宮外宮に伝わる秘紋「刺車文」に由来します。
この文様の示すところは天帝の乗り物とされています。この乗り物に乗って世を縦横無尽に駆け、和菓子の素晴らしさを福として天下にもたらしたいという気持ちから、「刺車文」が商標に選ばれたのです。
のちに牡丹文を配して、現在の花車となりました。牡丹は富貴草ともいい、和菓子が豊かに咲き香る姿をそこに表しました。
和菓子は花、日々新たにほころびる花。わたくしどもは、そのような花として、和菓子を今日もお作りしております。
こだわりの基礎
弊社が創業した宗右衛門町は、たいへん格式の高い花街でした。舞踊や浄瑠璃文楽、茶華道の師範や一流料亭をはじめとして、そこは洗練された浪花文化の土地柄でした。
和菓子もただの「甘味」ではなく、日本の歴史の中で育まれてきた、五感を通して季節の風流を楽しむ要素が、常に求められたのです。
和菓子の世界は、「米・味噌・醤油」という日本食の延長上に生まれ育ったものと、茶道との切磋琢磨によって洗練されてきたものと、ふた筋があるように思えます。
後者においては、季節の風姿を色形にこめて、味は茶に添うように、そして何よりもあらゆる意味で「本物」であることが肝要なのです。つまりは作り手が「本物」でなければ立ち行かないということです。
そのような菓子作りの鍛錬が弊社の草創期より厳しく行なわれていたことは、福壽堂秀信のその後の基礎となり、また自信ともなったのでした。
和菓子の花咲くこと
弊店は「真善美」という言葉を社是として掲げています。それは、「真なるおいしさ、善なるあきない、美なるかたち」を大切にしたいという一和菓子屋の矜持であります。
その精進が実り、全国菓子大博覧会(およそ4年毎開催)ではその都度、名誉総裁賞、内閣総理大臣賞など数々の最高位賞を受賞してまいりました。
また京都御所より上生菓子の拝命を授かったことも弊店にとってこの上ない名誉でございます。爾来、天皇皇后両陛下への菓子献上並びに宮内庁御用命度々に及び、弊店の和菓子が大きく花開く思いでございました。
1958(昭和33)年には宮内庁京都事務所の石川忠所長(当時)より「秀信」の名を菓匠名として頂く運びとなりました。ここに「福壽堂秀信」の名が成ったのでございます。この五文字を弊店では以下のように考えています。
人として、和菓子屋として、行き抜く上でもっとも大切な心がけが織り込まれた「福壽堂秀信」の名、これこそを「暖簾の戒め」として、今後ともまごうことなき「本物」の菓子作りに精進いたしてまいります。
阿波の国、現在の徳島県で生まれた創業者 藤田熊雄氏は、新鮮な魚で造った蒲鉾(かまぼこ)を、より多くの人に食べてもらいたいという思いで、大正初期に単身大阪へ出てきました。
見習時代を終えた彼は、その当時最も活気があった旧天満市場に店を構え、揚げたての練り天ぷらや蒲鉾を製造販売しました。新鮮な素材と味はたちまち評判を呼び、せまい売り場は連日大勢の買い物客で賑わったといいます。
昭和6年に同市場が福島区の大阪市中央卸売市場に統合した後も出店。新鮮な素材へのこだわりは、人並みはずれたものがあったそうです。
そんな彼の思いは今なお受け継がれ、厳選された素材を丹念にすり上げる《石臼製法》を使った「手造り」にこだわり続けています。また、すり身を揚げる油にもこだわり、すり身との相性・香り・艶・油切れを考え、胡麻油をブレンドした秘伝の油を使用しています。
大正2年(1913年)先々代、下條明治郎氏が、市内勝山通りにて、「冨士屋製菓」として豆菓子の製造を開始。
弊社、創業者北野留 三郎が、奉公を始め、職人として、豆菓子製造の技術向上に大いに寄与。戦中の材料不足により、その製造を中断していたが、戦後、昭和22年に「冨士屋製 菓」の屋号を引き継ぎ、昭和28年「株式会社冨士屋製菓本舗」に改称し、以来、2代目北野啓史、3代目北野登己郎と引き継がれ現在に至る。
創業以来、豆菓子製造の専業メーカーとして、熟練の職人による伝統的製法を守りつづけています。
■大正2年
弊社創業者、北野留三郎が、先代「冨士屋製菓」に奉公にあがる
■昭和28年
戦時中、一時中断するも、製造を再開し、「冨士屋製菓」の商号を引き継ぎ、会社を創立する
■昭和40年代
代表商品「豆味さん」がヒットし、業務を大幅に拡大する
■昭和52年
全国菓子博覧会にて「名誉総裁賞」を受賞し、あわせて、2代目社長 北野啓史が代表取締役に就任
■昭和60年代
製造設備の充実により、欧州向け輸出が順調に伸長する
■平成3年
3代目社長 北野登己郎の入社、と同時に新社屋の竣工
■平成14年
熊本菓子博覧会にて、代表商品「雀の玉子」「味くらべ」が、各賞を受賞
■平成15年
2代目社長 北野啓史が菓子業界への貢献により大阪府より「産業功労賞」を受賞
■平成19年
新シリーズ「ビーンズ工房 楽豆屋」での新業態への展開開始
■平成20年
自社WEBサイト「ビーンズ工房 楽豆屋」を開設
■平成22年
富田林商工会より地域ブランド「富田林ブランド」認定第1号を受ける
「雀の玉子」が大阪府より府認定の加工食品の名産品「大阪産(もん)名品」の認定を受ける
■平成23年
3代目 北野登己郎が、代表取締役に就任する
あ
か
さ
た
な
は
ま
や
ら
わ