大阪産(もん)名品の会


大阪産(もん)名品の会

大阪産(もん)事業者の歴史


マツヤ製菓 株式会社

 松屋は創業大正12年、当時は南船場にて大阪府民の味として皆様に親しまれてきました。(創業当時の屋号:若松屋)平成元年に現在の古川橋に移転し、和洋を超えたアイデア溢れるお菓子で、幅広い年齢層の方に愛され続けています。

 

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メディア掲載




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茶房で味わえる名物・はすね最中

門真名物の蓮根をかたどった、はすね最中が有名。餅米で作った皮と大粒の小豆をこだわりの製法で炊き上げた粒あんの上品な甘さが、香ばしい皮にぴったり合う。 


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大正12年、大阪の順慶町に先代が店を出したのが始まりで、はすね最中は当時からの商品。4日かけて作るあんは、特に水分に注意しているとか。水分が少な過ぎるとかたいあんになる
し、水分が多いとすぐ皮がクニャとなってしまう。やはり最中もいのちはパリッとした皮の歯ごたえと、程よいかたさの甘いあんの組み合わせ・・・(略)


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●マツヤ製菓の詳しい紹介はこちら




株式会社 丸赤製菓糸田川商店

丸赤製菓の創業は大正15年。
創立者でもある先代社長が、砂糖菓子製造所に勤め、ボンボンの製造技術を習い、会社を設立しました。昔は40社くらいのメーカーがありましたが、現在は、ボンボン専業メーカーは弊社1社となりました。
砂糖シェルボンボンの製造は、あの小さなお菓子からは想像できないほどの繊細で高度な職人技を必要とします。高温とコーンスターチとの厳しい現場ではありますが丸赤製菓は、伝統にこだわり、昔ながらのボンボン菓子を、後世に残したいと思い、これからも作りつづけます・・・

 

こちらが、伝統的なボンボンの作り方です。
丸赤製菓は、日本で唯一この製法を守り続けております。

 

①グラニュー糖を水で溶かし、1時間ほど煮たら火を止めウイスキーを混ぜます。アルコールを飛ばすため、泡が出なくなるまで煮詰めます。

②コーンスターチを敷き詰めた木枠に機械で窪みを付けます。そこへ先程の材料を流し込み固めていきます。粉の管理が命で、粉が湿ったりすると商品にならないので、雨季には生産できません。1日寝かせることで、外側だけが固まったボンボンが出来ます。

 

③出来上がったボンボンを一つ一つ丁寧に並べます。
④専用の機械で、チョコレートをコーティングします。

 


⑤チョコを冷却してチョコレートボンボンの出来上がりです!

 

現在は、ウイスキーボンボンの他に、日本酒や梅酒など様々なお酒のボンボンを作っております。

 

 

受賞・メディア掲載

・昭和36年全国菓子博「進歩金賞」受賞
・第26回全国菓子大博覧会・広島 金賞
・雑誌「大阪人」掲載
・関西TV「ニュースアンカー」
・朝日新聞掲載
・産経新聞掲載

 

●丸赤製菓糸田川商店の詳しい紹介はこちら


株式会社 丸市菓子舗

明治28年に創業。
堺で千利休にちなんだ銘菓を作り続け、平成14年度全国菓子博において、「斗々屋」が最高位の名誉総裁賞を受賞しました。 素材の良さにこだわりつつ、遊び心を取り入れながら和菓子界に新風を吹き込むべく挑戦し続けております。

 

 

 

 

受賞

 

メディア掲載

 

■NHK「ひるどき日本列島」

 

■朝日放送「おはよう朝日です」

 

■「ココイロ」朝日放送 2014/08/21 放送

 全国の御菓子の博覧会で数々の賞を受けていると紹介されました。

 

■「せのぶら!」朝日放送 2013/01/15 放送

 大阪府堺市をぶらぶら散策した中で紹介されました。

 

■「ノリで行こう!!」テレビ大阪 2012/12/19 放送

 様々な街を舞台に一丸で真剣バトルに挑むコーナーで紹介されました。

 

 

 

●丸市菓子舗の詳しい紹介はこちら


丸萬本家

幕末の元治元年(1864年)に大阪で創業した当店「丸萬本家」は、初代店主の飯井藤吉が能登(石川県)から大坂へやってきて開いたものです。武士をやめて大坂で店を開こうと決意した藤吉が訪れた瓢箪山稲荷神社(東大阪市)で辻占をし、「西のにぎやかな場所で商売せよ」とのお告げを受けて戎橋の南詰に店を構えました。またその辻占で盆に饅頭を載せた人が通ったので丸萬という店名に決めたという伝説があります。

 

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*明治時代の料理店案内より(大阪市立中央図書館蔵)

 

 


五代店主の後藤市蔵、六代店主の武美によって現在の魚すき(海魚すき)は完成し、その苦心によって極められた「魚の臭みを感じさせないだし」による魚すきが浪速の名物として定着。昭和4年に戎橋南詰の店が洋館に建て替えられました。この建物は大阪ミナミのシンボルとなり、さらに賑わったそうです。

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*戎橋南詰の洋館(昭和4年完成の店舗)


戦後、鰻谷に移転しましたが、平成8年(1996年)に七代店主の死去により後継者がおらず、魚すきの伝統が途絶えそうになりました。そのとき、七代店主の弟で画家である現在の店主、八代 後藤隆平が店の再開に乗り出しました。
鰻谷で六代店主の父親を手伝っていたため味を熟知しておる隆平は「自分が元気なうちに復活したい」という強い思いと、再開して欲しいという常連のお客様からの熱い要望を受けて、11年ぶりに大阪名物「魚すき」の店「丸萬本家」を復活させました。
再開にあたって店舗の外観の意匠参考にしたのが、下の銅製原版でした。


 

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*銅製の原版(裏木がついているため、現在の輪転機に入りません)

 

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*銅製の原版と、それによる印刷
(彫刻家である長男 英之の苦心により、京都でみつけた古い印刷機によって印刷が再現)

 

これは初代店舗の写真を製版(エッチング)した原版で、製作時期が不明ですし、現在の印刷技術では印刷することができません。苦労の末、京都で見つけた古い印刷機械によって、印刷が甦りました。
これを参考にして、新店舗の外観として当時のままに再現しました。これは「初代の趣にふさわしい伝統の味をよみがえらせたい」という当代 隆平の思いによるものです。
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*銅製の原版から甦った初代店舗の外


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*現在の店舗(堺筋本町で平成19年完成)

 

こうして、2007年1月に再オープンを果たした丸萬本家は、現在は堺筋本町に店を構えております。
戦火で焼け残った食器や鍋、暖簾なども元気に活躍中です。
古くからの常連様だけでなく、初めての方にも大阪の味を知っていただきたく、ご来店をお待ちしております。


明治食品 株式会社 浪花佃史屋

 創業当時そのままの手法である、直火釜炊きで佃煮を製造しています。自社工場で、現在炊き上げている佃煮の品数は約20品目余りあり、一釜12~20kgの小量ずつ日々丹精込めて、丁寧に職人が炊き上げる事で、出来立ての風味が残る保存加工食品の製造を可能にしています。名品認可の「浅利しぐれ煮」は、昭和24年創業当初から炊き上げている一品で、昭和35年「水産庁長官賞」・昭和46年「農林大臣賞」を受賞いたしております。他の佃煮調味と浅利しぐれ煮の調味方法は異なり、調味後浅利をすくい上げ、残った煮汁は保存して次の浅利しぐれ煮調味時に、取り置きの煮汁に調味液を足し炊き上げます。煮汁には貝の旨味が凝縮されていて、その煮汁で炊くことでしっかり炊き上げても浅利が出汁ガラにならず、浅利の身に旨味が浸透する調味法です。「秘伝のたれ」ともいえるこの調味液は、50年以上途絶えることなく大切に守り保存しつつ使用しています。

 


 

 

沿革

昭和24年

・大阪市西成区にて創業・設立

 

 

昭和35年

・全国水産加工たべもの展 佃煮部門にて、「浅利しぐれ煮」が農林水産大臣賞を受賞

 

 

昭和59年

・本社を大阪市鶴見区に移転

 

 

平成21年

・浪花佃史屋の商標を制定
・全国水産加工たべもの展 佃煮部門にて、「いかなごくぎ煮」が大阪府知事賞を受賞

 

 

平成23年

・「浅利しぐれ煮」が大阪産(もん)名品に認定

 

 

平成24年

・全国水産加工たべもの展 佃煮部門にて、「ちりめん山椒」が水産庁長官賞を受賞

 

メディア掲載

 

朝日放送『ココイロ』 放送日 2014年3月25日 21:48~
トミーズ雅さんのナレーションでおなじみの『ココイロ』。
大阪産(もん)名品に認定されている『浅利しぐれ煮』、国産牛肉・国産たけのこ・奈良県産実山椒を炊き上げた
『牛肉たけのこ』を、丁寧にご紹介頂きました。

 

情報雑誌『大阪人』 掲載日 2009年8月
1947年に創刊された大阪の情報雑誌。
創業から現在までの歴史を分かりやすくご紹介頂きました。

 


 

 

●浪花佃史屋の詳しい紹介はこちら