大阪産(もん)名品の会


大阪産(もん)名品の会

大阪産(もん)事業者の歴史


有限会社 文楽せんべい本舗

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前田直衛・画 『浪速の老舗』(第73回院展 無鑑査出品)

 

 

弊店社名の由来は、初代が文楽人形の絵柄などを玉子せんべいに焼き込んで評判を得た、

昭和20年ごろに遡ります。

 

当時、文楽の初代人間国宝・豊竹山城少掾よりその家伝の菓子に「文楽せんべい」
(伽羅浪速鑑:大阪の鑑となる菓子の意)の銘を受けて後、菓銘が社名となりました。

文楽の ゆかしき味は 浪速なる 人のかがみと たたへうたはむ
−山城少掾−

 

この銘文の進呈を受けた初代の感動を想起し、将来に向けて永々と伝えるため、

『世界に誇る人形浄瑠璃「文楽」を、商標に戴く幸せと責任を心得て、菓子づくりに精進します』

 

これを店のテーマと定め、私どもの社是と致しております。

● 文楽せんべい本舗の詳しい紹介はこちら


株式会社 蓬莱 551蓬莱

 











1945年(昭和20年)

難波新地4番丁に店舗「蓬莱食堂」建設。創設者 羅邦強 従業員男子5名・女子10名 創業当時はカレーライスを販売。爆発的人気を呼ぶ。

1946年(昭和21年)

551の豚まん誕生。難波新地5番丁に南店新設。洋菓子部新設・クリスマスケーキ記録的売上げ。

1947年(昭和22年)

蓬莱食堂焼失・再建 料理飲食閉鎖令のため、和洋菓子専門店として発足。食堂経営復活。本格的広東料理店として営業。

1948年(昭和23年)

東邦自動車株式会社設立

1952年(昭和27年)

蓬莱角店で、豚まん・焼売の実演販売開始

1953年(昭和28年)

株式会社設立、登記完了。社長 羅邦強、従業員男子50名・女子150名

1954年(昭和29年)

アイスキャンデー工場(浪速区新川町)建設、販売開始。

1956年(昭和31年)

社長、米国・欧州各国視察旅行(80日間)。別館に、大阪で初めての自動ドアを設置。

1957年(昭和32年)

そごう大阪店に出店(百貨店出店第1号)

1960年(昭和35年)

大阪高島屋に出店

1962年(昭和37年)

蓬莱本店、別館火災により焼失、仮設店舗で営業継続。

1963年(昭和38年)

天満橋京阪ストア地下お好みコーナー(旧松坂屋)に出店。営業システム変更、独立採算制採用(角店・中店・別館)

1964年(昭和39年)

新しい株式会社 蓬莱発足。社長 羅邦強、従業員男子30名・女子110名

1965年(昭和40年)

阪神百貨店・港町弁天埠頭ビル・中之島サンストアに出店

1966年(昭和41年)

ドージマ地下センターに出店

1967年(昭和42年)

難波八阪神社前に工場設置(八阪工場)

1969年(昭和44年)

新八阪工場竣工

1970年(昭和45年)

ミナミ地下街虹のまち「鹿鳴」開店。京阪ショッピングモール(京橋)、京阪デパートに出店。

1972年(昭和47年)

奈良近鉄に出店。浪速区新川町に軽食堂新川店開店。

1974年(昭和49年)

浪速区新川町に鉄筋4階建食堂「なんば新川店」開店。同新川町に新川売店開店。

1976年(昭和51年)

上本町近鉄・淀屋橋サンストア(現ネクスト1淀屋橋)に出店。

1977年(昭和52年)

アベノ近鉄に出店。蓬莱食品株式会社設立。

1978年(昭和53年)

南海なんば駅・東大阪近鉄に出店

1980年(昭和55年)

京都近鉄に出店。割烹 蓬莱 オープン。

1981年(昭和56年)

国鉄(現JR)大阪駅に出店

1982年(昭和57年)

泉北高島屋に出店。浪速区難波に本社ビル竣工。

1983年(昭和58年)

堺東店オープン。梅田大丸に出店。

1984年(昭和59年)

京都高島屋に出店。バレンタインデーに「ハート豚まん」販売開始。

1985年(昭和60年)

天王寺駅・上本町近鉄軽食街・国鉄(現JR)新大阪駅に出店。浪速区稲荷町に新工場(稲荷工場)竣工。

1986年(昭和61年)

南海高野線堺東駅・神戸大丸に出店。蓬莱パンチャン551開店。

1987年(昭和62年)

羅 邦強社長が会長、羅 辰雄副社長が社長へ就任。吉本興業「ピンクダック」起用新CMスタート。京阪グルメアべニューに出店。

1988年(昭和63年)

和歌山高島屋・守口京阪に出店

1989年(平成元年)

チャイニーズバー「大世界」開店。アステ川西・千里阪急・奈良そごうに出店。手提袋のデザイン「551HORAI」に一新。

1990年(平成2年)

神戸そごう、阪急三番街に出店

1992年(平成4年)

大阪空港に出店

1993年(平成5年)

吉本興業のトゥナイト起用新CMスタート。5/1 551の日大盛況。南海新今宮駅に出店。

1994年(平成6年)

蓬莱飲茶551オープン。枚方近鉄・枚方京阪に出店。御堂筋パレードに吉本興業と合同で初参加(活力賞受賞)。稲荷工場にてセット宅急便スタート。創業50周年記念式挙行

1995年(平成7年)

阪急梅田駅、三宮駅、十三駅、関空エアロプラザに出店。御堂筋パレードに吉本興業と合同参加(2年連続活力賞受賞)

1996年(平成8年)

OCATモールに蓬莱パンチャン551出店。稲荷工場が厚生大臣賞受賞

1997年(平成9年)

阪神百貨店B2フードテリア内「蓬莱飲茶551」、阪急西宮北口駅、阪急塚口駅、阪急川西能勢口駅、京都伊勢丹、JR京都駅に出店。パンチャン福島店開店

1999年(平成11年)

伊丹空港「飲茶カフェ」開店

2000年(平成12年)

創業55周年記念式挙行。メディオ新大阪店オープン

2001年(平成13年)

心斎橋大丸・生駒近鉄に出店

2002年(平成14年)

JR新大阪駅構内に出店

2003年(平成15年)

西宮阪神・京都大丸に出店。瑞翠・蓬莱飲茶551(なんば)・嘉義(福島)オープン

2004年(平成16年)

橿原近鉄・北花田阪急に出店。アイスキャンデーデザイン一新。浪速区桜川に新工場建設工事着工。関西空港レストラン開店。

2005年(平成17年)

新工場竣工。くずは京阪に出店、創業60周年記念式挙行

2006年(平成18年)

嘉義改装→551蓬莱福島店オープン

2007年(平成19年)

工場部門を「株式会社551蓬莱セントラルキッチン」として別法人化
梅田阪急、高槻松坂屋、草津近鉄に出店。

2008年(平成20年)

堺高島屋・京阪渡辺橋駅・西宮阪急に出店。

2009年(平成21年)

7月1日より551蓬莱オンラインショップオープン。
あまがさき阪神に出店。

2010年(平成22年)

2月福島店リニューアルオープン。4月1日よりアイスキャンデーリニューアル。
創業65周年記念式挙行。

2011年(平成23年)

5月JR大阪三越伊勢丹に出店。12月新大阪中央口店オープン。

2012年(平成24年)

3月 難波中店オープン。

5月 JR大阪駅チルド売店オープン。
12月 大津サービスエリア(上り)店オープン。

2013年(平成25年)

4月 社内報「蓬莱ニュース」創刊400号を迎える。
8月 紺綬褒状受賞。
9月 あべのハルカス店リニューアルオープン。

2014年(平成26年)

2月 パンチャン店2階リニューアルオープン。
4月 梅田大丸店カウンターオープン。
8月 新今宮駅店リニューアルオープン。
9月 和歌山近鉄店オープン。

2015年(平成27年)

2月 アルデ新大阪店リニューアルオープン。
3月 シロクマ(イッちゃん)天王寺動物園に寄贈。新大阪構内店リニューアルオープン。川西阪急店オープン。
7月 ユニバーサルシティ店オープン。
10月 創業70周年記念式挙行。

●551蓬莱の詳しい紹介はこちら


本家小嶋

室町時代(天文元年)より菓子屋吉右衛門として開業。オランダおよび諸外国との国交が盛んであった堺の町にあって、芥子餅・泰平餅として名付けた菓子を創案、豊臣時代に入っては千利休の好みにより広く賞賛され、名菓として栄される様になりました。 独特最高の原料を使用、一子相伝の製法により、吟味はもとより470余年よりの菓子として現在に至ります。

 


●「荘炳章」(愛新覚羅善耆(粛親王)の秘書官長)に絶賛され、めでたい気運が生ずることを意味する文字が送られました。

 


 


●日本の洋画家・書家の中村不折氏により描かれた本家小嶋の「熨斗」と「包装紙」

 


 


受賞



 


メディア掲載


堺には和菓子処が多い。

貿易港として栄え、町人たちの自治都市だったこと、侘び茶を完成させた千利休のお膝元だったことなど、いくつも理由がある。

・・・・

さて、その芥子餅。持つと、ふわふわしている。

プチッと香ばしい芥子の食感が魅力だ。餅もやわらかい。食べると、まず芥子の香ばしさが立った後、ふわふわの餅が口に広がる。

中の餡も、優しい味。上質の芥子と、きめ細やかな餅、丹念に練り上げられた餡の三つが相まって、美味な世界へようこそとなるのだ。

渋めのお茶もしくはあっさり系の白ワインが合う、と私は思う・・・


●本家小嶋の詳しい紹介はこちら



株式会社 松前屋

松前屋は100年近くの間、昆布の味を追求してきました。それはすなわち「和の食文化」に対するこだわりでもあります。

 


 


美味しさは記憶に残ります。しかし味覚は年齢とともに変化していきます。いつ食べても変わらず「美味しい」と感じていただくためには、その人の記憶を超えた味を提供する必要があります。そのために、今ある商品を見直し、さらに良くしていく、「定番を磨く」ことに力を注いでいます。誕生して50年ロングセラー商品の「とこわか」が世代を超えて愛されるのも、こういった日々の改善、試行錯誤があってのことです。

 


 


また、昆布で培った経験を基に、様々な食材を扱うようになりました。これも偏にお客様に「和の食文化」を存分に堪能してもらうためです。2002年にはフレンチのシェフである中村 新氏を顧問に招いて、更なる味の追及を図りました。「なぜ、和食にフランス料理のシェフを招いたか?」それは外の世界から和食の良さを更に引き出してもらう為です。「昆布の水塩」「とはに」はその代表作ともいえるでしょう。

 


 


「老舗」とは、今日は昨日の繰り返しを何十年と続けていくのではありません。「本当に動かしてはいけないところは動かさない、動かさなければいけないところは柔軟に動かす」 それが「伝統と革新」であり、それが松前屋なのです。

 


 


先代も先々代も様々な人気商品を生み出して、松前屋を築き上げてきました。これからも松前屋は常にお客様に喜んでもらえる本物の味を追求し続けて参ります。

 


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マツヤ製菓 株式会社

 松屋は創業大正12年、当時は南船場にて大阪府民の味として皆様に親しまれてきました。(創業当時の屋号:若松屋)平成元年に現在の古川橋に移転し、和洋を超えたアイデア溢れるお菓子で、幅広い年齢層の方に愛され続けています。

 

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メディア掲載




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茶房で味わえる名物・はすね最中

門真名物の蓮根をかたどった、はすね最中が有名。餅米で作った皮と大粒の小豆をこだわりの製法で炊き上げた粒あんの上品な甘さが、香ばしい皮にぴったり合う。 


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大正12年、大阪の順慶町に先代が店を出したのが始まりで、はすね最中は当時からの商品。4日かけて作るあんは、特に水分に注意しているとか。水分が少な過ぎるとかたいあんになる
し、水分が多いとすぐ皮がクニャとなってしまう。やはり最中もいのちはパリッとした皮の歯ごたえと、程よいかたさの甘いあんの組み合わせ・・・(略)


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