◆昭和初期の吉野すし
昭和初期の吉野すしです。一番左の人物が5代目店主です。5代目店主は船場の旦那衆のなかでも粋で遊び心の長けた人物だったと言われています。 |
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◆寿司の文字
古来、「サ」と読み、正しくは「魚へん」に「差」と書きます。中国の文献によれば、魚肉を飯の上において発酵させたものを意味します。 「鮨」や「鮓」はその俗字。書は明治の老大家、比田井天来先生の蹟。 |
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◆二寸六分の木枠
重石のかわりに両手で寿司を"漬ける"のが、「大阪箱寿司」の原点。二寸六分(8.5cm)の押し型は、両手でギュッと押せるような桧で太く作る。大切に扱えば20年は使えるが、木型職人の数も少なくなりました。 |
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◆お寿司の看板
店頭に掛けている大正初期の看板。 舟板に彫られた文字に金粉が残っています。 |
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◆寿司券
明治から大正初期まで使われていた商品券。 |
大阪の食文化 を語るときに欠かせないのが「粉もの文化」ですが、 昭和25年、大阪桃谷の地でイカ好きの初代が試行錯誤の末考案したのが 「いか焼き」 です。
もちもちっとした手打ちの生地とプリプリのイカを混ぜ込み、ご注文頂いてから手早く両面を一気に焼き上げるスタイルが創業 以来皆様に愛され続け、おかげさまで「いか焼き」は今では一般名詞になっております。お好み焼きでも、たこ焼きでもない、シンプルなのに他にない独特の味と食感が楽しめ、素材本来の持ち味を大事にしています。大阪のソウルフードとして他にマネのできない味を継承し、大阪の豊かな食文化を担い発信しています。
あ
か
さ
た
な
は
ま
や
ら
わ