大阪産(もん)名品の会


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大阪産(もん)事業者の紹介

豊下製菓株式会社

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昭和初期の商品
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飴製造道具

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豊下製菓株式会社

代表取締役 豊下正良

大阪府大阪市阿倍野区美章園二丁目13番3号
TEL 06-6719-4458 FAX 06-6719-3593

飴屋としての豊下の歴史は、炭屋の次男に生まれた吉川善助が有平糖細工の得意な菓子職人となり幕末の動乱期に洛中や島之内で開業後、明治四年に医家だった豐下彌兵衛の養子となり、明治5年に家督を相続した事に始まります。
幕末から明治初期、水あめと粗製の砂糖が主原料だった従前の製法に白砂糖を多用する有平糖の技術を持ち込んだ事で、大阪の飴の元を作った人と言われています。

二代目の澤田楢松は高木広治の元で丁稚奉公の後、当時は十八屋と呼ばれていた豊下の一人娘タネの婿養子となり彌兵衛を襲名、業態を川下・川上に広げ、大阪菓子業界の一大勢力の一つとなります。

三代目の才次郎は、線香商である伊藤仁壽堂での丁稚奉公、銀行員を経て、次男でありながら本業の製造業を引き継ぎ、西欧式最新設備の導入により労働集約型からの脱却を図り、昭和5年には真空瓶詰品のジャム入りキャンデー「スッロベリーボンボン」などを発売し、東インド会社を通じて輸出、またポテトチップスの商業生産を開始するなど先進の人。
素性を隠して森永製菓に丁稚奉公したり、業界を代表して砂糖の価格統制撤廃を求める大演説をしたり、目隠しをして寸分違わず飴を切り揃えたりと伝説の人でもあります。

四代目の良三は、機械いじりが得意で、業界に先駆けて昭和28年には自動ひねり包装機を導入、ラジオやテレビ番組を提供。同33年にはフォーションゼリーを発売したりなどの歴代の先進性を引き継いでいました。

当代は、専門の科学知識を生かして、タール系色素の排除や天然素材の活用を進め、初代より連綿と伝わる有平糖細工の技術を生かした「なにわの伝統飴野菜」を創製する一方、主原料の砂糖や水あめを国産品に切り替えるとともに、果物など地産素材利用の先鞭を切り現在に至っています。

※有平糖:上方では「ありへいとう」と呼び、安土・桃山時代に堺に伝わった南蛮菓子の一種で、以降茶の湯の干菓子用いられています。

慶応元年前後 初代、吉川善助が大阪では島之内の上大和橋より数軒北で開業。
十八屋と呼ばれる。
明治05年 吉川善助が先代豊下彌兵衛の家督相続、豊下が医家から菓子屋となる。
明治32年 澤田楢松が一人娘 タネの婿養子となり二代目となる。
明治38年 問屋部門を設立
大正11年 三代目、才次郎が製造部門を継承(於:南区瓦屋町)
昭和04年 住吉区(現、東住吉区)杭全町に製菓部を移転
昭和05年 イチゴジャム入りキャンデー「スッロベリーボンボン」を創作。
昭和06年4月 全国菓子飴品評会(現、菓子博、於:松山市)に出品。
金賞受賞。合名会社に改組。
昭和10年5月21 近全国菓子大博覧会(於:仙台市)にローズブッシュを出品。
名誉金賞を受賞
昭和23年 阿倍野区桑津町2383番地に移転。
(現 大阪市阿倍野区美章園2丁目13番3号)
昭和25年6月8日 有限会社 豊下製菓所に改組。
昭和28年 ミリオンジュースボール・バターボール・チョコボールを創作。
昭和29年4月20日 京都菓子博にて名誉審査賞
昭和32年3月24日 長崎菓子博にて功労賞
昭和32年6月 豊下製菓株式会社に改組
昭和42年3月 四代目良三、代表取締役に就任
昭和47年 新社屋完成
昭和48年2月 鹿児島菓子博にて「いちごとう」が内閣総理大臣賞
平成元年5月12日 松江菓子博にて「グレープフルーツ」が名誉総裁賞
平成04年09月23日 創業120周年謝恩会を開催
五代目正良、代表取締役に就任
平成7年2月 ホームページ開設
平成8年3月8日 資本金1000万円に増資
平成12年9月5日 ドメイン取得(toyosita.com)
平成12年10月10日 http://www.toyosita.com 開設
平成13年9月28日 「伝統飴野菜」ツアーエキスポに参考展示
平成14年2月2日 「伝統飴野菜」発売
「日経新聞」に掲載
平成22年11月17日 大阪産(もん)名品に16品目が認定される
平成22年12月1日 「大阪産(もん)名品の会」の発足会
平成23年4月19日 サントリーホールディングスと共同開発してきた地域限定ハイボール
平成23年5月26日 『あべのアメちゃんハイボール』を販売開始
アベノあめ村Q'small(アベノマーケットパークキューズモール)B1階がオープン
平成25年4月 広島菓子博にて「なにわの伝統飴野菜」農林水産大臣賞

 

 

受賞

 

 

メディア紹介

"なにわの伝統飴野菜"は、1872年(明治5)創業の『飴の豊下』の傑作。豊下家は代々の新しいもの好きの大阪好きで、昭和初年には早くもポテトチップスを売り出したり、ジャム入りイチゴ飴を開発。 昭和30年頃には東京の日本橋三越が催した物産展の草分け「浪速うまいもの会」にて、大阪のたこ焼を紹介、昭和30年代、ダイコンやタマネギでジャムを試作・・・。そうして2000年11月、五代目社長の豊下正良さんが、とうとうなにわ野菜と 運命的出会いを果たす・・(以降略)

 

 

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